トルコ軍の重鎮ムスタファ・フェヴズィ

トルコ軍の重鎮ムスタファ・フェヴズィ

ムスタファ・フェヴズィ

オスマン帝国末期からトルコ共和国初期に活躍した軍人・政治家。第一次世界大戦ではガリポリ、カフカス、パレスチナなどの戦線で軍団・軍の司令官を務めた。第一次世界大戦後はオスマン帝国の参謀総長や陸軍大臣を務めながら、アナトリアの民族運動に武器や兵士を送り込む活動を支援した。トルコ独立戦争では国防相、政府議長、参謀総長などを務め、サカリヤの戦いや大攻勢の作戦立案に重要な役割を果たした。1922年に元帥へ昇進し、1924年から1944年まで長期にわたってトルコ共和国の参謀総長を務めた。第二次世界大戦への参戦には反対し、トルコ軍の戦争準備を進めながらも参戦回避を支持した。退役後は民主党の支援者となり、1948年には国民党の創設に参加した。

年表

分類
要素
西暦 ムスタファ・フェヴズィ
1876年
ムスタファ・フェヴズィの誕生 (時期: 1876年1月12日。, 場所: トルコ共和国イスタンブール。現在のベイオール地区にあるジハンギル(Cihangir)で生まれた。)
1886年
軍学校への進学 (年齢: 9歳, 時期: 1886年~1893年。, 場所: サロニカ(現在のギリシャ・テッサロニキ)、イスタンブール。)
1893年
オスマン帝国陸軍士官学校への入学(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 17歳, 時期: 1893年4月29日。, 場所: イスタンブール。)
1898年
マケドニアにおける武装勢力との紛争 (年齢: 21歳, 時期: 1898年〜1908年頃, 場所: オスマン帝国領マケドニア、サロニカ(現在のギリシャ・テッサロニキ)、マナストゥル(現在の北マケドニア・ビトラ)周辺)
陸軍大学校の卒業(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 22歳, 時期: 1898年12月25日。, 場所: イスタンブール。)
1899年
第18常備師団の参謀長に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 22歳, 時期: 1899年。, 場所: オスマン帝国領コソボ州メトロヴィツァ(現在のコソボ・ミトロヴィツァ)。)
1902年
少佐への昇進(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 26歳, 時期: 1902年4月。, 場所: オスマン帝国領マケドニア。)
1907年
結婚(ムスタファ・フェヴズィ,ファトマ・フィトナト・ハヌム(Fatma Fitnat Hanım)。, 年齢: 31歳, 時期: 1906年12月に結婚のための休暇を取得した記録があり、1907年6月には妻とともに任地へ戻っている。結婚式の正確な日付は確認できない。, 場所: イスタンブール。具体的な式場は確認できない。)
1908年
青年トルコ人革命後の統一と進歩委員会への関与 (年齢: 31歳, 時期: 1908年以降。, 場所: メトロヴィツァ。)
1909年
三月三十一日事件 (年齢: 33歳, 時期: 1909年4月13日〜4月24日(オスマン暦では3月31日), 場所: イスタンブール)
1911年
トリポリ戦争 (年齢: 35歳, 時期: 1911年9月~1912年10月。, 場所: オスマン帝国領トリポリタニア、キレナイカ。現在のリビア。)
1912年
ヴァルダル軍の作戦部門責任者に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 36歳, 時期: 1912年9月29日。, 場所: バルカン半島、ヴァルダル方面。)
第一次バルカン戦争 (年齢: 36歳, 時期: 1912年10月〜1913年5月, 場所: バルカン半島、オスマン帝国領のマケドニア、トラキア、アルバニアなど)
1913年
第二次バルカン戦争 (年齢: 37歳, 時期: 1913年6月〜8月, 場所: バルカン半島、特にブルガリア、セルビア、ギリシャ、ルーマニア、東トラキア)
アンカラ予備師団長に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 37歳, 時期: 1913年8月2日。, 場所: アンカラ。)
第5軍団司令官に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 37歳, 時期: 1913年12月22日。, 場所: アンカラを拠点とするオスマン帝国軍の管区。)
1914年
第一次世界大戦 (年齢: 37歳, 時期: 1914年~1918年, 場所: オスマン帝国、アナトリア、シリアなど)
カフカス戦線 (年齢: 38歳, 時期: 1914年11月~1918年末。, 場所: オスマン帝国東部、ロシア帝国領カフカス。現在のトルコ東部、アルメニア、ジョージア周辺。)
1915年
シナイ・パレスチナ戦線 (年齢: 38歳, 時期: 1915年〜1918年, 場所: シナイ半島、パレスチナ、ガザ、ベエルシェバ、エルサレム周辺)
少将への昇進(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 39歳, 時期: 1915年3月2日。, 場所: オスマン帝国。)
ガリポリの戦い (年齢: 39歳, 時期: 1915年4月25日~1916年1月9日。, 場所: オスマン帝国領ガリポリ半島、ダーダネルス海峡周辺。現在のトルコ・チャナッカレ県。)
アナファルタラル集団司令官代理に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 39歳, 時期: 1915年12月10日。, 場所: ガリポリ半島、アナファルタラル方面。)
1916年
第2カフカス軍団司令官に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 40歳, 時期: 1916年9月7日。, 場所: オスマン帝国東部、カフカス戦線。)
1917年
第2軍司令官に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 41歳, 時期: 1917年7月5日。, 場所: ディヤルバクル、オスマン帝国東部。)
第7軍司令官に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 41歳, 時期: 1917年10月9日。, 場所: アレッポ、パレスチナ方面。)
1918年
カラコル協会(秘密抵抗組織)の活動 (年齢: 41歳, 時期: 1918年末~1920年。, 場所: イスタンブール、アナトリア各地。)
アナトリアへの武器・兵士の移送支援 (年齢: 41歳, 時期: 1918年末~1920年3月。, 場所: イスタンブールからアナトリア各地。)
民族運動を支援する秘密活動 (年齢: 41歳, 時期: 1918年末~1919年。, 場所: イスタンブール、アナトリア。)
中将への昇進(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 42歳, 時期: 1918年7月28日。, 場所: オスマン帝国。)
ムドロス休戦協定 (年齢: 42歳, 時期: 1918年10月30日。, 場所: エーゲ海のムドロス港、レムノス島。)
イスタンブール占領 (年齢: 42歳, 時期: 1918年11月13日〜1923年10月4日(軍事的な正式占領は1920年3月16日から), 場所: オスマン帝国の首都イスタンブール)
オスマン帝国参謀総長に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 42歳, 時期: 1918年12月24日。, 場所: イスタンブール。)
1919年
トルコ独立戦争 (年齢: 43歳, 時期: 1919年5月〜1922年10月, 場所: アナトリア半島、東トラキア、イズミル、アンカラ、イスタンブール周辺など)
トルコ・ギリシャ戦争 (年齢: 43歳, 時期: 1919年5月~1922年9月。, 場所: アナトリア西部、イズミル、エスキシェヒル、サカリヤ川、アフィヨンカラヒサル、ドゥムルプナル周辺。)
イズミルへのギリシャ軍上陸をめぐる対立 (年齢: 43歳, 時期: 1919年5月12日~14日。, 場所: イスタンブール、イズミル。)
参謀総長を解任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 43歳, 時期: 1919年5月14日。, 場所: イスタンブール。)
シヴァスへの派遣 (年齢: 43歳, 時期: 1919年11月13日~26日。, 場所: サムスン、シヴァス。)
1920年
オスマン帝国陸軍大臣への就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 44歳, 時期: 1920年2月3日~4月8日。, 場所: イスタンブール。)
オスマン帝国陸軍大臣に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 44歳, 時期: 1920年2月3日。, 場所: イスタンブール。)
イスタンブールからアンカラへの脱出 (年齢: 44歳, 時期: 1920年4月~27日。, 場所: イスタンブールからアンカラへの道中。)
アンカラへの到着 (年齢: 44歳, 時期: 1920年4月27日。, 場所: アンカラ。)
トルコ大国民議会政府への参加 (年齢: 44歳, 時期: 1920年5月3日。, 場所: アンカラ。)
国防相・政府執行委員会議長に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 44歳, 時期: 1920年5月3日。, 場所: アンカラ。)
1921年
第一次イノニュの戦い (年齢: 44歳, 時期: 1921年1月6日~11日。, 場所: アナトリア西部、エスキシェヒル近郊のイノニュ。)
政府議長に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 45歳, 時期: 1921年1月24日。, 場所: アンカラ。)
第二次イノニュの戦い (年齢: 45歳, 時期: 1921年3月23日~4月1日。, 場所: アナトリア西部、イノニュ、エスキシェヒル周辺。)
参謀総長に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 45歳, 時期: 1921年8月5日。, 場所: アンカラ。)
サカリヤの戦い (年齢: 45歳, 時期: 1921年8月23日~9月13日。, 場所: アンカラ西方、サカリヤ川東岸。)
1922年
大攻勢とドゥムルプナルの戦い (年齢: 46歳, 時期: 1922年8月26日~30日。, 場所: アフィヨンカラヒサル、ドゥムルプナルなど、アナトリア西部。)
元帥への昇進(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 46歳, 時期: 1922年8月31日。, 場所: アンカラ。)
ムダニヤ休戦協定 (年齢: 46歳, 時期: 1922年10月3日~11日。, 場所: トルコ北西部、ムダニヤ(現在のブルサ県)。)
1923年
参謀総長として共和国軍を統括 (年齢: 46歳, 時期: 1923年~1944年1月12日。, 場所: アンカラ。)
ローザンヌ条約の締結 (年齢: 47歳, 時期: 1923年7月24日。, 場所: スイス、ローザンヌ。)
1939年
第二次世界大戦 (年齢: 62歳, 時期: 1939年~1945年, 場所: ヨーロッパ、中東、シリア)
第二次世界大戦への参戦回避 (年齢: 62歳, 時期: 1939年~1945年。, 場所: アンカラ、トルコ国内およびヨーロッパ諸国との外交関係。)
1941年
ファルフード(バグダード反ユダヤ暴動, 年齢: 65歳, 時期: 1941年6月1日~2日, 場所: イラク王国バグダード)
1944年
退役と参謀総長職の退任 (年齢: 68歳, 時期: 1944年1月12日。, 場所: アンカラ。)
1946年
民主党からの立候補と当選 (年齢: 70歳, 時期: 1946年7月21日。, 場所: イスタンブール。)
民主党の支援と国会議員への当選 (年齢: 70歳, 時期: 1946年7月21日。, 場所: イスタンブール。)
1947年
民主党からの離党 (年齢: 71歳, 時期: 1947年7月12日。, 場所: アンカラ。)
1948年
国民党の結成 (年齢: 72歳, 時期: 1948年7月20日。, 場所: アンカラ。)
国民党の名誉党首に就任(ムスタファ・フェヴズィ, 年齢: 72歳, 時期: 1948年7月20日。, 場所: アンカラ。)
1950年
ムスタファ・フェヴズィの没年 (年齢: 74歳, 時期: 1950年4月10日。イスタンブールのテシュヴィキエで死去し、4月12日にエユップ墓地へ埋葬された。)
フェヴズィ・チャクマクの死去と大規模な葬儀 (年齢: 74歳, 時期: 1950年4月10日~12日。, 場所: イスタンブール、テシュヴィキエ、ベヤズット・モスク、エユップ墓地。)
死去とエユップ墓地への埋葬 (年齢: 74歳, 時期: 1950年4月10日~12日。, 場所: イスタンブール、テシュヴィキエ、エユップ墓地。)

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