日本史

奥羽越列藩同盟を結成し義を貫いた東北の江戸時代

江戸時代の東北地方では、伊達氏(仙台藩)や南部氏(盛岡藩)などの雄藩が広大な領地を治め、寒冷地特有の新田開発や名産品の育成に尽力しました。米沢藩の上杉鷹山による「財政再建と殖産興業」は、名君の模範として知られます。幕末には、津軽藩や秋田藩など路線を異にする動きもありつつ、会津藩の松平容保や仙台藩の伊達慶邦らを中心に「奥羽越列藩同盟」を結成。新政府軍に抗戦し、幕末の激動期を駆け抜けました。
日本史

中央集権国家の基盤を確立した新政府の断行・廃藩置県

廃藩置県は、明治新政府が1869年の版籍奉還を経て1871年に断行した大改革です。全国の「藩」を廃止して「県」を置き、旧藩主(知藩事)を解任して中央政府から府知事・県令を派遣しました。これにより、数百年にわたり続いてきた封建的な地方割拠体制を解消し、税収や軍事権を中央政府に一元化することに成功。反乱のリスクを抑えつつ急速な中央集権化を果たし、日本の近代化・中央集権国家確立の決定的な足がかりとなりました。
日本史

徳川慶喜が政権を朝廷へ返還し幕府支配に幕を閉じた大政奉還

大政奉還は、1867(慶応3)年に15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返還した歴史的事件です。土佐藩の山内容堂らの提言を受け入れ、武力倒幕を目指す薩長同盟の先手を打つ形で決断されました。慶喜は新体制下でも諸侯会議の主導者として実権を維持しようと企図しましたが、岩倉具視や薩摩藩らの画策による王政復古の大号令により摂関・幕府の廃止が宣言され、約260年続いた江戸幕府の統治は完全に終焉を迎えました。
日本史

幕末を支えた最後期の大老酒井忠績

酒井忠績は、幕末に活躍した姫路藩主であり、江戸幕府最後の大老を務めた政治家です。老中を経て1865年に大老に就任し、十四代将軍・徳川家茂を支えながら兵庫開港問題や長州征討などの難局処理に当たらせました。幕府の権威失墜と尊皇攘夷運動の過熱という動乱期において、公武合体路線の維持や幕政の調整に奔走。大政奉還後は徳川家の存続を図りつつ、明治維新の激動期を切り抜けて姫路藩の舵取りを行いました。
日本史

幕藩体制の確立と衰退をめぐり権力を競った朝廷と幕府

江戸時代の朝廷と幕府では、両者の緊張関係と協力を通じて国政を動かした政治家や権力者が活躍しました。徳川家康・家光らが「禁中並公家諸法度」により朝廷の政治関与を制限し将軍権力を確立した一方、水尾天皇らの反発も生じました。幕末には孝明天皇が尊王攘夷派の象徴として浮上し、徳川慶喜や岩倉具視らが幕府権力の維持や公武合体、あるいは王政復古を狙って熾烈な政治工作を展開。幕藩体制の解体へと至りました。
日本史

学問と産業の振興や幕末の政局を担った四国の人物群

江戸時代の四国地方では、各藩の個性豊かな藩主や異才たちが学問・産業・幕末の政局で大きな存在感を示しました。讃岐高松藩の平賀源内は本草学や蘭学、発明で異才を発揮し、阿波徳島藩では藍玉の生産・流通による藩財政の強化が図られました。幕末には土佐藩の山内容堂や坂本龍馬、中岡慎太郎らが大政奉還や薩長同盟の締結に向けて奔走し、四国は日本の近代化と歴史的転換において重要な役割を果たしました。
日本史

百万石の加賀藩と北前船貿易が支えた北陸の江戸時代

江戸時代の北陸地方では、百万石を誇る加賀藩の前田氏を中心に、学問や産業、貿易を支えた多くの人物が活躍しました。前田綱紀らは名君として学問・工芸を振興し、加賀友禅や漆器などの独自の藩政文化を開花させました。また、富山藩前田利次による「富山の薬売り」の創始や、銭屋五兵衛に代表される北前船主たちの躍進により、北陸は日本海ラインの物流・経済の要衝として豊かな地域社会を形作りました。
日本史

西国の守りを固め外様と親藩が割拠した九州の江戸時代

江戸時代の九州地方では、幕府の西国統制や異国防備の要として多士済々の人物が活躍しました。細川氏(熊本藩)や鍋島氏(佐賀藩)、黒田氏(福岡藩)などの雄藩当主は、治水や殖産興業、軍事改革を推進。また長崎出島を擁する地理的特性から、吉雄耕牛ら阿蘭陀通詞や蘭学者が西洋知識の受容に貢献しました。後述の島津氏(薩摩藩)や高島秋帆らの洋式砲術導入など、幕末に国政を揺るがす人材や改革の土台が築かれた地域でした。
日本史

関東争乱を彩った戦国武将群像

戦国時代の関東では、関東管領の上杉氏、古河公方の足利氏、相模を拠点に勢力を拡大した後北条氏、常陸の佐竹氏、下総の千葉氏などが覇権を争った。なかでも北条早雲や北条氏康は領国支配を強化し、上杉謙信は関東出兵を繰り返して北条氏と対立した。また、佐竹義重や里見義堯らも地域勢力として活躍し、関東は多くの有力大名が複雑に競合する戦国史の重要な舞台となった。
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三好元長らが細川高国を破り都を奪取した桂川原の戦い

桂川原の戦いは、1527(大永7)年に山城国桂川原で起きた細川氏の家督争いと室町幕府の主導権をめぐる激突です。管領・細川高国に対し、阿波の細川晴元や三好元長、柳本賢治らの連合軍が挙兵。都近郊で激しい戦闘が繰り広げられ、高国軍は大敗を喫しました。勝利した晴元軍は足利将軍義晴と高国を近江へ追放して京都を制圧し、足利義維を擁立する堺公方(堺政権)樹立の決定的な足がかりを築くこととなりました。