池青天

池青天

池青天

ソウル出身の独立運動家・軍人。日本陸軍士官学校を卒業後、満洲へ脱出して抗日武装闘争に身を投じた。新興武官学校で教官を務めて独立軍の幹部育成に尽力し、1920年代には独立軍の軍司令官として青山里の戦いなどで指揮を執った。中国国民党との連携を深め、1940年に中国・重慶で大韓民国臨時政府の正規軍である「韓国光復軍」が創設されると、総司令官に就任した。太平洋戦争下では、連合国軍との共同作戦やOSS(米戦略情報局)との特修訓練を推進し、朝鮮本土潜入作戦を計画した。戦後は韓国に帰国し、初代無任所大臣や国会議員を務めるなど、政界で重要な役割を果たした。

年表

分類
要素
西暦 池青天
1888年
池青天の誕生 (時期: 1888年1月25日(旧暦。新暦では1888年2月15日とする資料もある), 場所: 大韓民国・ソウル特別市鍾路区三清洞)
1908年
結婚(池青天,尹龍慈, 年齢: 19歳, 時期: 1908年, 場所: 詳細不明。朝鮮半島内と考えられる)
1909年
日本陸軍士官学校への留学 (年齢: 20歳, 時期: 1909年~1914年, 場所: 日本・東京)
1919年
日本軍からの離脱・中国への亡命(池青天, 年齢: 30歳, 時期: 1919年, 場所: 日本から中国東北部)
中国への亡命と新興武官学校での活動(池青天, 年齢: 30歳, 時期: 1919年, 場所: 中国東北部・新興武官学校)
1920年
互いに連携する独立軍組織の再編 (年齢: 31歳, 時期: 1920年, 場所: 中国東北部・間島、安図周辺)
定義府の軍事委員長・司令官就任(池青天, 年齢: 31歳, 時期: 1920年代半ば, 場所: 中国東北部・南満洲)
1921年
高麗革命軍官学校の校長就任(池青天, 年齢: 32歳, 時期: 1921年, 場所: ロシア・イルクーツク周辺)
自由市惨変(自由市事件・黒河事変, 年齢: 33歳, 時期: 1921年6月, 場所: ロシア極東・自由市(現在のアムール州スヴォボードヌイ周辺))
1930年
洛陽軍官学校・韓人特別班の設置と指導 (年齢: 41歳, 時期: 1930年代前半~半ば, 場所: 中国・河南省洛陽)
1931年
満州事変 (年齢: 42歳, 時期: 1931年~1934年, 場所: 中国東北部(満洲)、特に遼寧省・吉林省周辺)
韓国独立軍総司令官就任(池青天, 年齢: 42歳, 時期: 1931年, 場所: 中国東北部)
満洲事変 (年齢: 43歳, 時期: 1931年9月18日以降, 場所: 中国東北部)
1933年
韓国独立軍の武装解除 (年齢: 44歳, 時期: 1933年ごろ, 場所: 中国東北部)
1939年
第二次世界大戦 (年齢: 50歳, 時期: 1939年~1945年, 場所: 中国東北部、ソ連極東)
大韓民国臨時政府の軍務部長就任(池青天, 年齢: 50歳, 時期: 1939年, 場所: 中国・重慶)
1940年
韓国光復軍総司令官就任(池青天, 年齢: 52歳, 時期: 1940年9月17日, 場所: 中国・重慶)
1945年
解放後の帰国と政治活動(池青天, 年齢: 56歳, 時期: 1945年以降, 場所: 朝鮮半島南部・ソウル)
1957年
池青天の没年 (年齢: 68歳, 時期: 1957年1月15日。ソウルで死去)
1994年
死去 (年齢: 没後37年, 時期: 1994年7月8日, 場所: 平壌)

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