東郷茂徳と二度の開戦・終戦外交

東郷茂徳と二度の開戦・終戦外交

朴茂徳

元外務大臣の朴茂徳(東郷茂徳)は、太平洋戦争の開戦時と終戦時の双方で外相を務めた重鎮外交官。第一次東條内閣の外相として日米交渉の妥結を最後まで模索したが開戦を回避できず辞任。その後、鈴木貫太郎内閣で再び外相に就任し、ソ連を媒介とした和平工作やポツダム宣言受諾を強力に推し進めた。陸軍の抗戦派と激しく対立しながらも聖断を引き出し、戦争終結を実務面から主導した。戦後、A級戦犯として判決を受けたが、一貫して外交による平和回復に尽力した姿勢は高く評価されている。

年表

分類
要素
西暦 朴茂徳
1882年
朴茂徳の誕生 (時期: 1882年12月10日, 場所: 鹿児島県日置市東市来町美山(旧・日置郡苗代川村))
1908年
東京帝国大学卒業(朴茂徳, 年齢: 25歳, 時期: 1908年, 場所: 日本・東京)
1912年
外務省入省 (年齢: 29歳, 時期: 1912年, 場所: 日本・東京)
1914年
第一次世界大戦 (年齢: 31歳, 時期: 1914年~1918年, 場所: ヨーロッパを中心とする世界各地)
1922年
結婚(朴茂徳,東郷エヂ, 年齢: 39歳, 時期: 1922年, 場所: 東京都・帝国ホテル)
1937年
日中戦争 (年齢: 54歳, 時期: 1937年~1945年, 場所: 中国各地、特に中国東部・中部および華北地域)
駐ドイツ大使就任(朴茂徳, 年齢: 54歳, 時期: 1937年, 場所: ドイツ・ベルリン)
1938年
駐ソ連大使就任(朴茂徳, 年齢: 55歳, 時期: 1938年~1940年, 場所: ソ連・モスクワ)
1939年
第二次世界大戦 (年齢: 56歳, 時期: 1939年~1945年, 場所: 中国東北部、ソ連極東)
ノモンハン事件 (年齢: 56歳, 時期: 1939年5月~9月, 場所: 満州国とモンゴル人民共和国の国境付近(現在のモンゴル・ロシア国境周辺))
1941年
日ソ中立条約の締結 (年齢: 58歳, 時期: 1941年4月13日, 場所: ソ連・モスクワ)
東條内閣の外務大臣就任(朴茂徳, 年齢: 58歳, 時期: 1941年10月18日, 場所: 日本・東京)
太平洋戦争開戦時の外交対応 (年齢: 58歳, 時期: 1941年12月, 場所: 日本・東京、アメリカ・ワシントン)
真珠湾攻撃と太平洋戦争開戦 (年齢: 58歳, 時期: 1941年12月7日(日本時間12月8日), 場所: アメリカ・ハワイ州オアフ島の真珠湾)
1942年
ジュネーブ条約の遵守表明 (年齢: 59歳, 時期: 1942年1月21日, 場所: 日本・東京)
大東亜省設置をめぐる対立 (年齢: 59歳, 時期: 1942年8月~9月, 場所: 日本・東京)
外務大臣辞任と貴族院議員就任(朴茂徳, 年齢: 59歳, 時期: 1942年9月1日, 場所: 日本・東京)
1945年
鈴木貫太郎内閣の外務大臣就任(朴茂徳, 年齢: 62歳, 時期: 1945年4月9日, 場所: 日本・東京)
ポツダム宣言受諾の主張 (年齢: 62歳, 時期: 1945年7月~8月, 場所: 日本・東京)
1948年
極東国際軍事裁判での判決 (年齢: 65歳, 時期: 1948年11月4日, 場所: 日本・東京)
1950年
朴茂徳の没年 (年齢: 67歳, 時期: 1950年7月23日)
獄中での死去 (年齢: 67歳, 時期: 1950年7月23日, 場所: 東京都・米陸軍第361病院(現在の同愛記念病院))

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