激動の時代に和平と財政再建を図ったアブデュルハミト1世

激動の時代に和平と財政再建を図ったアブデュルハミト1世

アブデュルハミト1世

兄ムスタファ3世の跡を継いだアブデュルハミト1世は、ロシアとの屈辱的なキュチュク・カイナルジ条約を締結せざるを得ず、クリミアの独立承認や黒海通商権の譲渡など大きな打撃を受けた。しかし、彼は敗戦からの復興を目指し、大宰相らとともに砲兵隊の改組や海軍の増強、財政再建といった近代化策を進めた。晩年には再びロシアおよびオーストリアとの戦争に突入し、厳しい情勢のなかで苦心の国家舵取りを余儀なくされた。

年表

分類
要素
西暦 アブデュルハミト1世
1年
結婚(アブデュルハミト1世,アイシェ・シネペルヴェル・カドゥン, 年齢: 誕生1724年前, 時期: 不明。アブデュルハミト1世の即位前後に関係を結んだとされる。, 場所: オスマン帝国の宮廷(具体的な場所は不明))
1725年
アブデュルハミト1世の誕生 (時期: 1725年3月20日, 場所: トルコ共和国イスタンブール)
1774年
軍事制度の改革と海軍工学教育の振興(アブデュルハミト1世, 年齢: 48歳, 時期: 1774年 - 1789年, 場所: コンスタンティノープルを中心とするオスマン帝国各地)
アブデュルハミト1世の即位 (年齢: 48歳, 時期: 1774年1月21日, 場所: トプカプ宮殿(現在のイスタンブール))
キュチュク・カイナルジャ条約の締結 (年齢: 49歳, 時期: 1774年7月21日, 場所: 現在のブルガリア北東部カイナルジャ周辺)
1775年
オスマン・イラン戦争 (年齢: 49歳, 時期: 1775年 - 1779年ごろ, 場所: イラク南部、バスラ周辺、オスマン帝国とイランの国境地域)
バスラの占領と奪回をめぐる戦闘 (年齢: 49歳, 時期: 1775年 - 1779年ごろ, 場所: バスラ(現在のイラク南部))
結婚(アブデュルハミト1世,アイシェ・カドゥン, 年齢: 49歳, 時期: 不明。1775年に死去したとされる。, 場所: オスマン帝国の宮廷(具体的な場所は不明))
1776年
ハミディエ慈善施設の整備 (年齢: 50歳, 時期: 1776年 - 1777年ごろ, 場所: シルケジ地区(現在のイスタンブール))
1777年
ベイレルベイ・モスクの建設 (年齢: 51歳, 時期: 1777年 - 1778年, 場所: ベイレルベイ地区(現在のイスタンブール、ボスポラス海峡沿岸))
1778年
結婚(アブデュルハミト1世,ヒュマシャー・カドゥン, 年齢: 52歳, 時期: 不明。1778年に死去したとされる。, 場所: オスマン帝国の宮廷(具体的な場所は不明))
1782年
コンスタンティノープルの大火 (年齢: 56歳, 時期: 1782年, 場所: コンスタンティノープル(現在のイスタンブール))
1783年
ロシアによるクリミア併合 (年齢: 57歳, 時期: 1783年, 場所: クリミア半島(現在のウクライナ領。ロシアが実効支配する地域を含む))
1785年
改革派大宰相ハリル・ハミト・パシャの失脚 (年齢: 59歳, 時期: 1785年, 場所: コンスタンティノープル(現在のイスタンブール))
1787年
露土戦争(1787年 - 1792年, 年齢: 61歳, 時期: 1787年 - 1792年。アブデュルハミト1世の治世中に開戦し、死去後も戦争は継続した。, 場所: 黒海北岸、クリミア周辺、ドナウ川流域、オチャコフなど。)
1788年
オチャコフ要塞の陥落 (年齢: 63歳, 時期: 1788年12月6日, 場所: オチャコフ(現在のウクライナ南部ミコライウ州))
1789年
アブデュルハミト1世の没年 (年齢: 64歳, 時期: 1789年4月7日)
アブデュルハミト1世の死去とセリム3世の即位 (年齢: 64歳, 時期: 1789年4月7日, 場所: コンスタンティノープル(現在のイスタンブール))
不明
結婚(アブデュルハミト1世,ナクシディル・カドゥン, 時期: 不明, 場所: オスマン帝国の宮廷(具体的な場所は不明))
結婚(アブデュルハミト1世,ビンナズ・カドゥン, 時期: 不明, 場所: オスマン帝国の宮廷(具体的な場所は不明))
結婚(アブデュルハミト1世,その他の配偶者, 時期: 個別の婚姻時期は不明, 場所: オスマン帝国の宮廷(個別の場所は不明))
結婚(アブデュルハミト1世,ハティジェ・ルーシャー・カドゥン, 時期: 即位前から関係があったとされるが、正確な時期は不明。, 場所: オスマン帝国の宮廷(具体的な場所は不明))

地図

分類
要素
アジア 世界
asia map

関連リンク

他言語

コメント