咸豊帝
咸豊帝は1850年に即位した清朝第9代皇帝で、その治世は内憂外患が最高潮に達した多難な時期でした。即位直後に清朝最大級の農民反乱である太平天国の乱が勃発し、帝国の大部分が混乱に陥りました。さらに、1856年には英仏連合軍とのアロー戦争が開戦し、北京が侵略されて名園である円明園が焼失するという壊滅的な打撃を受けました。これに対し咸豊帝は熱河へ避暑と称して逃亡し、その地で没しました。天津条約や北京条約の締結により更なる利権奪取を許す一方、政権内では恭親王や後の西太后らが台頭し、次代の洋務運動へと繋がる政治構造の変化が生じました。
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