『オリエンタリズム』著者のエドワード・サイード

『オリエンタリズム』著者のエドワード・サイード

エドワード・サイード

パレスチナ出身の文学学者・思想家エドワード・サイードは、主著『オリエンタリズム』を通じてポストコロニアル理論を確立し、世界的な知性として活躍した。コロンビア大学教授として西洋における東洋表象の歪みを批判する一方、パレスチナ民族評議会(PNC)のメンバーとして無所属の立場からパレスチナ人の権利擁護と国家自決を強く主張した。1990年代のオスロ合意に対しては、パレスチナ人の権利を根本的に保障しない不当な妥協であると厳しく批判。文化的・言論的側面からパレスチナ運動を世界に訴え続けた。

年表

分類
要素
西暦 エドワード・サイード
1935年
カイロでの幼少期と初等教育(エドワード・サイード, 時期: 1935年~1947年, 場所: エジプト・カイロ)
エドワード・サイードの誕生 (時期: 1935年11月1日, 場所: 現在のエルサレム市(当時のイギリス委任統治領パレスチナ))
1939年
第二次世界大戦 (年齢: 3歳, 時期: 1939年~1945年, 場所: ヨーロッパ、北アフリカなど)
1947年
第一次中東戦争 (年齢: 11歳, 時期: 1947年~1949年, 場所: パレスチナ、イスラエル周辺、レバノンなど)
1948年のパレスチナ人避難・追放(エドワード・サイード, 年齢: 11歳, 時期: 1947年~1949年, 場所: パレスチナ、エルサレムなど)
エルサレムでの学校生活 (年齢: 11歳, 時期: 1947年, 場所: エルサレム)
1948年
ビラル・サイード事件(家族の土地・財産喪失をめぐる経験, 年齢: 12歳, 時期: 1948年以降, 場所: エルサレム、パレスチナ)
ヴィクトリア・カレッジでの学業と退学 (年齢: 12歳, 時期: 1948年~1951年, 場所: エジプト・カイロ)
1951年
マウント・ハーモン校への留学 (年齢: 15歳, 時期: 1951年~1953年, 場所: アメリカ合衆国マサチューセッツ州)
1953年
プリンストン大学・ハーバード大学での研究 (年齢: 17歳, 時期: 1953年~1964年, 場所: アメリカ合衆国ニュージャージー州、マサチューセッツ州)
1962年
結婚(エドワード・サイード,マイレ・ヤーヌス, 年齢: 26歳, 時期: 1962年, 場所: 詳細不明)
1963年
コロンビア大学での教職 (年齢: 27歳, 時期: 1963年~2003年, 場所: アメリカ合衆国ニューヨーク市)
1967年
第三次中東戦争 (年齢: 31歳, 時期: 1967年6月, 場所: シナイ半島、ヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザ地区、ゴラン高原など)
1970年
結婚(エドワード・サイード,マリアム・コルタス, 年齢: 34歳, 時期: 1970年, 場所: 詳細不明)
1974年
アラファートの国連演説の翻訳 (年齢: 38歳, 時期: 1974年, 場所: アメリカ合衆国ニューヨーク市)
1977年
パレスチナ民族評議会(PNC)への参加 (年齢: 41歳, 時期: 1977年~1991年, 場所: パレスチナ民族評議会の開催地)
1978年
『オリエンタリズム』の刊行 (年齢: 42歳, 時期: 1978年, 場所: アメリカ合衆国)
1982年
第一次レバノン戦争 (年齢: 46歳, 時期: 1982年6月~9月, 場所: レバノン、特にベイルート)
1988年
パレスチナ独立宣言への関与 (年齢: 52歳, 時期: 1988年, 場所: アルジェリア・アルジェ)
1990年
白血病との闘病と死去(エドワード・サイード, 年齢: 54歳, 時期: 1990年代後半~2003年9月24日, 場所: アメリカ合衆国ニューヨーク市)
1993年
オスロ合意をめぐるPLO指導部との対立 (年齢: 57歳, 時期: 1993年以降, 場所: ノルウェー・オスロ、パレスチナ、アメリカ合衆国など)
オスロ合意への批判とPNCからの離脱 (年齢: 57歳, 時期: 1993年~1991年(PNC離脱は1991年), 場所: パレスチナ、アメリカ合衆国など)
1999年
ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団の創設 (年齢: 63歳, 時期: 1999年, 場所: ドイツ・ワイマールなど)
2003年
エドワード・サイードの没年 (年齢: 67歳, 時期: 2003年9月24日(資料によって9月25日とする場合あり), 場所: アメリカ合衆国ニューヨーク市)

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