児玉源太郎と日露戦争の作戦指導

児玉源太郎と日露戦争の作戦指導

児玉源太郎

徳山藩出身の陸軍軍人で、極めて高い作戦立案能力を持った参謀として知られる。日露戦争では満州軍総参謀長として大山巌総司令官を支え、戦況が難航した旅順攻略戦や奉天会戦で現場に介入して作戦を修正し、勝利に大きく貢献した。また台湾総督としても後藤新平を起用してインフラ整備や産業振興を進め、植民地経営の基礎を築いた。陸軍の頭脳として軍事と統治の両面で卓越した手腕を発揮した。

年表

分類
要素
西暦 児玉源太郎
1852年
児玉源太郎の誕生 (時期: 1852年4月14日(嘉永5年閏2月25日), 場所: 日本・山口県周南市児玉町(旧周防国都濃郡徳山村横本丁))
1864年
徳山殉難七士事件 (年齢: 12歳, 時期: 1864年8月(元治元年), 場所: 日本・山口県周南市(旧徳山藩))
1865年
徳山藩での家督相続と元服 (年齢: 12歳, 時期: 1865年, 場所: 日本・山口県周南市(旧徳山藩))
1869年
大阪兵学寮での軍事教育(児玉源太郎, 年齢: 16歳, 時期: 1869年~1870年, 場所: 日本・大阪府大阪市)
1874年
佐賀の乱 (年齢: 21歳, 時期: 1874年1月~2月, 場所: 日本・佐賀県佐賀市周辺)
結婚(児玉源太郎,児玉松子, 年齢: 22歳, 時期: 1874年10月(明治7年), 場所: 日本・熊本県熊本市周辺とされるが、具体的な婚礼会場は不明。)
1876年
神風連の乱 (年齢: 24歳, 時期: 1876年10月24日, 場所: 日本・熊本県熊本市)
1887年
陸軍大学校校長への就任(児玉源太郎, 年齢: 34歳, 時期: 1887年~1889年, 場所: 日本・東京都)
1892年
陸軍次官兼陸軍省軍務局長への就任(児玉源太郎, 年齢: 39歳, 時期: 1892年, 場所: 日本・東京都)
1894年
日清戦争 (年齢: 41歳, 時期: 1894年~1895年, 場所: 朝鮮半島、黄海、遼東半島、山東半島、台湾)
日清戦争における大本営参謀としての活動 (年齢: 41歳, 時期: 1894年~1895年, 場所: 日本・広島県広島市の大本営など)
1895年
日清戦争後の帰還兵検疫事業 (年齢: 42歳, 時期: 1895年, 場所: 日本・広島県広島市宇品など)
1898年
第4代台湾総督への就任(児玉源太郎, 年齢: 45歳, 時期: 1898年2月~1906年4月, 場所: 台湾・台北)
1900年
第4次伊藤博文内閣の陸軍大臣への就任(児玉源太郎, 年齢: 48歳, 時期: 1900年12月~1902年3月, 場所: 日本・東京都)
1903年
児玉文庫の開設 (年齢: 50歳, 時期: 1903年1月, 場所: 日本・山口県周南市(旧徳山藩の生家跡))
第一次桂太郎内閣での内務大臣・文部大臣兼任 (年齢: 51歳, 時期: 1903年7月~10月(文部大臣は9月まで), 場所: 日本・東京都)
1904年
満州軍総参謀長への就任(児玉源太郎, 年齢: 52歳, 時期: 1904年6月, 場所: 中国東北部・満州)
1905年
日露戦争における奉天会戦 (年齢: 52歳, 時期: 1905年2月~3月, 場所: 中国・遼寧省瀋陽市(旧奉天)周辺)
奉天会戦における作戦指導 (年齢: 52歳, 時期: 1905年2月~3月, 場所: 中国・奉天(現在の遼寧省瀋陽市)周辺)
1906年
陸軍参謀総長への就任(児玉源太郎, 年齢: 53歳, 時期: 1906年4月, 場所: 日本・東京都)
南満州鉄道株式会社設立委員長への就任(児玉源太郎, 年齢: 54歳, 時期: 1906年7月, 場所: 中国東北部・満州、日本・東京都)
児玉源太郎の没年 (年齢: 54歳, 時期: 1906年7月23日(明治39年)。東京都の自宅で死去。脳溢血による急逝とされる。享年55歳(数え年)。)
死去と伯爵への追叙 (年齢: 54歳, 時期: 1906年7月23日, 場所: 日本・東京都)

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