日本史 大坂冬の陣―豊臣・徳川最後の決戦
1614年、徳川家康は豊臣秀頼が籠もる大坂城を攻めるため、大軍を率いて出陣した。方広寺鐘銘事件などをきっかけに豊臣・徳川両家の緊張が高まり、豊臣方には真田信繁(幸村)ら多くの浪人が集結した。徳川軍は大坂城を包囲し、真田丸などで激しい攻防が繰り広げられた。最終的に豊臣方は講和を受け入れ、大坂城の外堀などが埋められることとなった。しかし両者の対立は解消されず、翌1615年の大坂夏の陣へとつながり、豊臣家滅亡の決定的な前段階となった。