アメリカ史

鉄鉱業と農園経営でワシントン家の財を築いた父

オーガスティン・ワシントン・シニアは、ジョージ・ワシントンの父親であり、18世紀前半のバージニアで多角的な事業を展開した裕福なプランター(大農園主)です。タバコ農園の拡大に加え、イギリス資本との提携による鉄鉱石の採掘・製鉄事業(プリンス・ウィリアム鉄工所)を成功させ、一族の財産を飛躍的に増やしました。また、後にマウントバーノンとなる土地を取得・整備し、息子たちが名門として台頭する経済的基盤を整えました。
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バージニア評議会議長を務め米英王室の先祖となった名士

オーガスティン・ワーナー・ジュニアは、17世紀後半のバージニア植民地で高い政治的地位を築いた大農園主・政治家です。イングランドで教育を受けた後、バージニア市民議会(House of Burgesses)の議長や評議会(Governor's Council)のメンバーを歴任し、植民地の政治指導者として活躍しました。また、彼はジョージ・ワシントンとロバート・E・リーの共通の先祖であり、現代の英王室チャールズ3世の血筋にも連なる名門の祖としても知られます。
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ワシントン家の祖となり北米に大農園の礎を築いた移民者

ジョン・ワシントンは、1656年(または1657年)にイングランドからバージニアへと渡り、初代大統領ジョージ・ワシントンの曽祖父となった人物です。到着早々に船の難破に遭うも現地に留まり、裕福な娘との結婚を経てポトマック川沿いに広大な土地と奴隷を獲得。タバコ農園主(プランター)として成功を収めました。また民兵隊の中佐や民会議員を務め、先住民との交渉や衝突に関わるなど、名門ワシントン家の繁栄の礎を築きました。
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ワシントン家が歩んだ大農園経営とアメリカ独立への道

17世紀半ばに移民したジョン・ワシントンから始まるバージニアの名門ワシントン家は、ポトマック川沿いに広大な土地を獲得し、タバコ農園主(プランター)として頭角を現しました。代々地元政治や軍職で影響力を築くなか、曾孫のジョージ・ワシントンはフレンチ・インディアン戦争で初陣を飾り、名声を確立。豊富な土地経営と軍事的経験は、後に大陸軍司令官および初代大統領としてアメリカ独立を導く強固な礎となりました。
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不服従の精神で領主貴族と対峙したアルベマールの代理知事

ジョン・ジェンキンスは、17世紀後半のノースカロライナ(アルベマール地区)で代理知事や地方長官を務めた政治家です。本国の領主貴族や専制的な総督方針に対して植民地住民の権利を主張し、航海法への不満が高まる中で現地派のリーダーとして存在感を示しました。反対派から職務停止や拘留措置を受けるなど政治的混乱に巻き込まれましたが、住民からの強い支持を背景に復権し、初期カロライナの混乱期において重要な役割を果たしました。
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宗教対立を巡り自作の政権を樹立した「ケアリーの反乱」の主導者

トーマス・ケアリーは、18世紀初頭のノースカロライナ植民地で知事・副知事を務めた政治家です。イギリス国教会を優先し、クエーカー教徒らの公職追放を図る政策が激しい反発を呼びました。1711年、失職に反対したケアリーは武装した支持者を率いて独自の政府を樹立し、「ケアリーの反乱」を起こしました。武装船で現職知事を攻撃するなど激化しましたが、バージニアからの援軍により鎮圧され、イギリス本国へ送還されました。
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探検手記を遺しタスカローラ戦争で命を落とした博物学者

ジョン・ローソンは、18世紀初頭のノースカロライナで活躍したイギリスの探検家・測量長官です。1700年から1,000マイルにおよぶ内陸部を探検し、広大な自然や先住民文化を詳細に記した著作『カロライナ新航海記』を刊行してヨーロッパに新大陸の魅力を伝えました。また、バースやニューバーンの町を創設するなど開発を精力的に推し進めましたが、入植拡大に伴う衝突のなか、1711年にタスカローラ族に捕らえられて命を落としました。
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貿易規制に反発し北米初の反乱を主導したカロライナの煽動者

ジョン・カルペパーは、1677年にノースカロライナ(アルベマール地区)で起きた「カルペパーの反乱」を主導した人物です。イギリス本国が課した重い航海法とタバコ税に不満を募らせる入植者らを率い、知事代理を幽閉して独自の税関と政府を立ち上げました。彼は一時的に地域の全権を握り、北米植民地におけるイギリス王室や領主への初期の武力反抗を象徴する存在となり、後のアメリカ革命に繋がる抵抗運動の先駆けとなりました。
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王政復古を導きカロライナ植民地創設の土台を築いた政治家

エドワード・ハイド(初代クラレンドン伯爵)は、ピューリタン革命の混乱期に清教徒と対立し、チャールズ2世の王政復古を力強く後押しした王党派の大物政治家です。その多大な功績により、1663年に国王から北米のカロライナ植民地を下賜された8人の領主(領主貴族)のひとりに名を連ねました。自らは直接北米へ渡らなかったものの、本国から植民地憲章の獲得と初期の経営指針確立を主導し、南部の発展に貢献しました。
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消えた植民地と独立前夜の反乱が彩るノースカロライナ

ノースカロライナの歴史は、1580年代に謎の失踪を遂げた「ロアノーク島の消えた植民地」から始まりました。17世紀後半に入植が本格化すると、過酷な地理的孤立と政治的混乱が続き、1711年には過酷なタスカローラ戦争が勃発。その後、王室直轄植民地として安定すると、大藍や米の栽培で成長しました。1770年代には総督の腐敗に反発した民衆による「世直し運動(レギュレーター運動)」が起き、後の革命運動への導火線となりました。